雑記

読書には二つの目的がある

のえみは生活の中に本を読む時間を取り入れて過ごす人のうちの一人なのですが、最近読んでいるものには2つの目的があるな、ということに気付きました。

一つは、仕事のため、何かを学ぶためのもので、もう一つは趣味として読むのが気持ちいいから読む本です。

なぜ分けるのかというと、これまではこれらをごちゃまぜにして考えていたことで「自分は本読むのが嫌いでなかったはずなのになんでこんなに退屈になるのだろう」と考えて悩むことが多かったからです。

自分は文字を読むのがそれなりに好きだったので何かを学ぶための手段として書籍に頼ることが多いです。でも、読み始めてみるとそのうち読み進めるのが苦痛になってきて、途中で投げだすことも多いのです。

学生の頃は気の向くままにあれこれ読んでいて、それが楽しかった記憶があるのですが、社会に出て必要なものを学ぼうとしたときに同じ手段を取るとほとんど面白くなく、退屈なまま文字に目を通すだけになりがちです。

そんなことからのえみも年老いてつまらない人間になってしまったのかなぁと思うこともあるのですが、ふとした時に手に取って買ってきたような本は昔のようにすらすら読めたりします。

この違いは一体何なのか・・・

その違いというのが結局、趣味のために読んでいるのか仕事のために読んでいるのか、の違いのように思いました。

仕事のために読む技術関連の書籍は内容も複雑になりがちだったり、興味のある内容ばかりではなかったりするので退屈することも当然にあります。その本自体、好きで選んで読んでいるわけではありません。必要だから読んでいるのです

一方で本屋なんかでその時に面白そうと思って買った本というのは結局面白そう、内容が気になるというのが元で読んでいるのでそれなりに読んでいて楽しめます。

あるいは買う前にある程度文を読んで文の雰囲気が楽しそうだから、で購入することもありますし。

仕事のための本はつまらなさそうだから、で読まないわけにはいきません。つまらなくても仕事に必要だから、キャリアの足しにしないといけないから、そうしないと社会でやっていけないから、で読むのです。

そういう違いがあります。

最近はやっとこさこの違いが自覚できるようになってきたので、この本は仕事用、この本は趣味用ということで読み分けるようにしています。

もう少し具体的に言うと、気分転換のために外に出かけて行って読む本は趣味用の本です。

気分転換のために外まで出かけて行って、それで仕事用の本を読むとテンションがダダ下がりします。せっかく時間を取って外まで出てきて、それでなぜこんなしんどい気分にならないといけないのか。

最近は外まで出かけて行って読むのはしんどい仕事用の本をちょっとでもしんどくない形で読むためのこと、というように考えていたこともあります。

本を読むのはしんどいこと、だから外で読むことでちょっとはマシにしようとしていたのですね。

それだったら趣味の本を外で読んだ方が楽しいです、せっかくの気分転換なのですし。

仕事用の本は部屋で時間を取って、コーヒーかココアで頭を落ち着かせながら読むのが一番気分的にマシです。

そうやって内外で過ごしています。