のえみはここ一ヶ月ブログで何も書いていませんでした。
これまでは週に二本はブログ記事として何か書くことを自分に課していたのですが。
本を読んだことだのなんだの雑記的に色々書いていましたがしっくりくるものがなく、文の書き方本のようなものを時々読んでいます。
その中で出会ったのがこの本なのですが、読んでいると逆に文章が書けなくなってしまいました。

田中 泰延さんの、「読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術」です。
コピーライターの方による文章の書き方についての本なのですが、文章の書き方それ自体だけでなく、そもそも文章とは何か、それをなぜ書くのかについてに焦点がある本です。
この本の中で、文章についてこのような話があります。
誰かがもう書いているなら読み手でいよう
見たものの感想や考察など、既にほかの人が書いているような内容の文章であれば、自分が今更書く必要がないということです。
自分が読みたいものを書く、という考えからいくと人が同じような文章を書いていればその人の文を読めばいいわけで、そういった意味で自分が書く必要はないよねという話になります。
問題はというと、これはのえみが書く文章の約半分がそれにあたるということです。
のえみが書こうとする文章は例えば書評であれば同じ本について感想を書いている人はすでにいますし、着眼点も他の人とだいたい同じ部分だったりします。
であればその方の感想を読んで自分もそう思った、として心に留めておけばいいわけで、追加で書くことなどありません。
のえみが文章を書くときはそれを承知で、「他の人の重複になるけど他に書くこともないししょうがないかな」で文章を書いているところがあります。
何となくそれにむなしさは感じていましたが、「書く必要がない」と言われると確かにそうだなぁと感じます。
次に、このような話もあります。
つまらない人間とは「自分の内面を語る人」
文章として書かれていてつまらないのは人が聞いていて「知らんがな」と感じるような、その人の内面だけで感じていたり考えていたりすることを書いたものです。
つまらないのはそれをほかの人が聞いても「知らんがな」と思って共感されず、さらにそれ以外の何か便利な知識も面白い事象もないからです。
逆に面白い文章のためには少なくとも実際に起きたことや何らかの事象が必要になってきます。
のえみの書く文章の残りの半分はこちら側に属します。
事象として書くことがなさすぎて困った状態で何かを書こうとすれば自然とこちら側に流れます。
書くこと、何か書き記すべき事象がない状態では自分の記憶やその時の感覚からしか書くことを抽出できず、それを基にして文章を書けば自然と自分の内面のことを語ることになってしまいます。
それは確かに他の人から見れば「知らんがな」としか言いようがなく、他の人どころかのえみ自身としても「知らんがな」としか思えません。
のえみが自分が書いた文章を読む気にならないのもそういう理由です。
自分で書いた文章が書いた後一瞬の後には他人の文になり、それは他人の内面の話なのであとから読んでも「知らんがな」と感じてしまいます。
多分この文章も書いた後二度と読まないでしょう。
そしてこれらを考えるともはやのえみが書ける文章はなくなってしまいます。
のえみが考えていることを書いてもしょうがない、何か書こうとしてもそれをほかの人が書いていたら書いてもしょうがないです。
のえみがこれまで書いてきた文章はどれものえみの内面の話か、どこかの誰かが書いたことの焼き直しです。
書くことではありません。
逆にどのような文章を書けばいいのかというと、ここでタイトル回収です。
本書では、「自分が読みたいものを書く」ことで「自分が楽しくなる」ということを伝えたい。
「読みたいことを、書けばいい」というタイトルどおりのことを、この本の中では何度も繰り返しています。
自分が読んでいて面白いと思う文は他の人でも読んで面白い人がいるはず、だからまずは自分のために書くということです。
いちばん最初に料理で例えているのが分かりやすいです。
自分ひとりのために、料理を作って食べたことがあるだろうか。
自分の腹を満たすためには必然的に料理をしますが、それがおいしければ一人でも嬉しいし、他の人にとってもおいしいと感じられればそれは人に食べさせることもできます。
そしてそれが仕事に繋がったりもします。
文章も同じです。
自分が食べたいものを作って食べるということが自分の読みたいものを書いて読むということと対応します。
なので、自分が読みたいと思ったものを、書けばいいのです。納得です。
では、のえみが読みたいものは?
ここにきて今度はこのブログのタイトル回収です。
読みたいものが、ありません。
参った。
降参です。
この本を読んでから、ずっとのえみは何か読みたいものはあったかなと考えています。
何か事あるごとに「何か読みたいものは?」と自分で考えていますが、何も思いつきません。
そしてそれと派手に矛盾するのですが、本は買いに行っています。
なぜ。
読みたいものはないのではないのか。
とにかくおなかが空いたらなんでもいいからとコンビニに行くように、何か読みたいと思って本屋に行きます。
では、読みたいものは?
なんでもいいです、おなかが膨れるものならなんでも。
それと同じような感覚で本を読んでいます。
しいて言えば文章術、歴史、哲学。
いやいやいや、今のところのえみに書けることはありませんって。ほぼほぼ何も知らないのに。
こんな調子で過ごしてきました。
そういうわけで、ここ一月何も書かずにすごしています。
これまでは何か書かねばならぬ、書くために書くのだという感覚でやってきたので他人と重複していても人から見て知らんがなということでも何とか書いてきたのですが、ここにきて「自分が読みたいものを書くんだよ」となると、いきなり書くことがなくなってしまいます。
これでは何も書けませんが、そもそも読みたいものがすでに巷にあふれているのであれば自分が何も書く必要もありません。
書かなければいけないのはのえみが何か書かないといけないと思っているからで、そのモチベーションで何か書いても誰にも響かない、誰も読まない、のえみ自身も読まない。
何のために書くのかを考え始めると、なんだか手が止まってしまいます。
何か書かなければならない目的はあるにはあるのですが、今は底も揺らいでいます。
一旦何も書かないで、読みたいものが思い浮かぶまで待つべきなのかなと考えています。