最近SF小説として「華氏451度」を読んでいました。
自分の目標として30歳になるまでに歴史と哲学について一通り学ぶというものがあるのですが、他に有名な古典SF小説を色々読むというものもあります。
こちらはそのうちの古典SFを読む、ということで読んでいた本です。
本を有害なものとして燃やすディストピアが舞台
「華氏451度」は所謂ディストピアもののSFです。
舞台となっている国では、本を所有したり、読んだりすることが禁止されています。
禁書リストというものがあり、それに含まれる本を持っているという通報があると焚書官と呼ばれる人々が出動して、その場所に置いてある本を家ごと燃やしてしまいます。
本作の主人公はそんな焚書官の仕事をしています。
はじめは何の疑問を持たず出動して本を燃やす生活を送っていたのですが、いつからかその燃やしている本の中にどんなものが書いてあるか興味を持ってしまい、一冊持ち帰ってしまうところから物語が動き出します。
なぜ焚書をしているのか
この本で面白いと思ったのは、舞台となっている国でなぜ焚書をしているのか、という点です。
のえみも「華氏451度」はディストピアSFであることは知っていました。
ディストピアSFといえばよくあるイメージは「思想は統制され、国にとって都合の悪いことは隠蔽する」あたりかと思いますが、「華氏451度」はそういった部分にもう一歩踏み込んでいるように感じられます。
物語の中でなぜ焚書をするのか述べられる場面があるのですが、そこでは「本はたがいに矛盾するようなことが書かれている、だからたがいに書かれていることを元にして論争が起きたりして混乱する」といった説明がされます。
また、舞台となっている国で焚書以外に特徴的なのが、様々な刺激の強い娯楽が溢れていることです。
壁一面に広がるテレビで常に何かしらの放送がなされていたり、町では車を高速で危険運転することが当たり前に娯楽として行われています。車の危険運転は当然のように事故が多発しています。
また、本の他にも安楽椅子も没収の対象となっており、その理由が「安楽椅子に座ってゆったりしていると余計なことを考えて悩んでしまうから」であったりします。
これらをまとめると「国民が考えたり悩んだりすることをなくすこと」がこの国で行われていることの目的であることが見えてきます。
物語の中盤で主人公は近所の人々が集まる場で禁書とされている本を読み「現状が何かおかしくないか」と疑問を投げつけます。そのことが密告され、自身も焚書官に追われる羽目になってしまいます。
なぜ密告されたのかを考えると、理由としては禁書を読んだからことだけではなく、それによって人々を悩ませ、考え込ませてしまったからというのもあるのではないかという気もしてきます。
この国の人々は悩んだり考えたりすることを禁止されているだけでなく、自分たちでもそういったことを避けているように見えます。
それが侵されたから、主人公のことを密告したのかもしれないですね。
そんなディストピア世界に浸れる一冊でした。