日常

病院には不思議と悪い思い出がない

先週、仕事で休みを取っていたのでついでに行ってしまえ、という気分になって近くの病院にインフルエンザの予防接種を受けに行きました。

自分の意志で病院まで予防接種を受けに行くことは稀だったのでちょっとした冒険です。

自転車で5-6分、朝一番の余り込んでいない時間に出かけました。

インフルエンザの予防接種は当日予約なしですぐに受けられることはあらかじめ聞いていたので受付をさっくり済ませてしばらく待っていました。

病院自体にやってくるのがかなり久々だったので、その場の雰囲気にしばらく浸っていました。

やって来ているのは平日の朝ということもあって、老人の方が多いです。

廊下では誰かがそれなりに大きめの声で薬の説明を受けていました。

以前飲んでいた薬の詳細が分からないものの一旦これを飲んでおきましょう、みたいな説明。

その廊下は白色灯がついていてもすこし黄色みがかっているようでした。

この病院ができてからそれなりに経つので、おそらく経年で色味が少し変わってきたのでしょうね。

廊下の先は病院の別の棟と屋外の廊下を通して繋がっているので、そこから光が差し込んでいます。

待合室から見える光はその廊下と、入り口と、受付の中の事務スペース、あと2階への階段の外側が床まで続く広い窓になっていてそこからも外の光が差し込んでいました。

こうしてみるとかなり明るい場所だったみたいですね。

病院の待合室ということで当然のようにテレビもあります。

自転車の飲酒運転に罰則がついたとかなんとか。東京都で初の逮捕者が出たとか。

そういうのをはた目で見ながら過ごす時間になんだか安らぎがありました。

こういう安らぎを感じたのは久々な気がします。

なぜだろうかとあとで振り返って、これまでの病院に行ったときのことを思い出してみるとそういえば、病院にはあまり悪い思い出がないということを感じました。

あくまでものえみの場合は、という話ですが。

のえみが病院に行った思い出はいくつかあります。

シンプルに自分が熱が出た時、誰かが入院してお見舞いに来た時。

まあそりゃそのどちらかではあるのですが、小さい頃は病院に来て診察を受けた後に病院の売店で何か買ってもらったり、あるいは自販機で飲み物を買ってもらったりしていました。

病院にはパック入りの飲み物だけが入っている自販機がありがちなイメージがあります。

新しくて大きい病院になるとカップ入りの飲み物の自販機がありがち、という気もします。

そこで何か買ってもらったのがうれしかった、という記憶があります。

また、誰かのお見舞いに来た時は談話スペースで置いてある本を読んだり、持ってきた自由帳に漫画を描いて過ごしたりしていました。

母が話好き、世話焼きで見舞いに来ても中々帰ろうとしないのでかなりの時間を談話室で過ごしていました。

そこで読んだもの、描いたものは悪くない思い出です。

自分の創造性の原動力になっているのでは、という気もします。

病院に来るときは自分も何か苦しいところがあってきているはずなのですが、そういう思い出があるためかあまり嫌な気分になりません。

そもそも病気をすることが今のところあまりないため病院のお世話になることもないのですが、たまには予防接種という形ででも行っておきたいかなと感じた、