田舎がもてはやされて、それからその振り返しでえらく非難されるようになって10と数年くらい過ぎました。
大抵の物事の評価は数年くらいかけてえらく振り返されたり、たった一つの意見で評価が逆方向に偏ったりしがちですがいったい何なのでしょうね。
物事の評価がそんな誰かが言った一言で大きく揺れるのはなんだか納得がいかない気がずっとしています。
そういうことがある、というのは否定のしようがないのですが。
そんな中で今気になっているのが「田舎は静かと言われているが実際はうるさい」問題です。
今日はその周りでちょっと考えていたことをいくつか書ければと思います。
「田舎は静かと言われているが実際はうるさい」とは
むかーしむかし、田舎が賛美されていた時代には田舎を賛美する理由の一つとして「田舎は都会と違って静か」というものがありました。
都会は車やら電車やらの音がうるさくて、一方で田舎はそういったものがないから静か、で、心が安らぐみたいな。
そこから数年くらいたってからでも実際は違うぞ、みたいなことを言われるようになり始めました。
というのも、「田舎で夜寝ようとすると外はずっとカエルや虫の鳴き声がする、うるさくて寝られない」とのことで。
なので田舎は言われているほど静かでないし、むしろうるさい、ゆえにそれは田舎を賛美する理由にはならない、ということです。
都会と田舎どっちがいいんだという軸の論争の中で出てきた一幕で、結局否かよくないじゃんという方向に振れた瞬間でもありました。
知らんがな。
なんで田舎は静かと思われていたのか
個人的にその時に思っていたのは、なぜ田舎の方はそんなに静かだと思われていたのだろうということで、一応自分の中にそれらしい答えもありました。
大抵の方も思いつくものでしょうけど。
たぶん自分たちは普段聞こえているものは無意識のうちに無音としてとらえています、そりゃ普段聞こえている音を全部意識を向けていたら頭がパンクしてやっていけないのでそんなものはなかったと扱うことにしてやりすごしています。
そんな脳の話とかありましたっけ。たぶんあります。ちょっと今探すのは面倒ですが。
そのため、普段身の回りで聞こえているものや聞こえていたものは大半がなかったものとして扱われがちになります。
そうすると田舎の夜中中聞こえる音と言うのは意識の中では全く無音であるように感じられて、田舎は静かだと思われていたのかなと考えています。
田舎が静かなら街中も静かじゃないの
その話で言うと、そもそも都会がそんなにうるさいかという話にもなってきます。
客観的な指標を持ってくる話ではなく、主観的にどれくらいの音がすると普段感じていましたっけという話です。
ちょっと前まで東京に住んでいたのですが、一時期瞑想を部屋の中でやってみたりしていました。
その中でやっていたのが「何が聞こえるか、どの方向から聞こえるか」に意識を集中させるもので、頭の中に円を描いてどの方向に何の音、というのをマッピングしていくものです。
で、部屋の中でそれをやって聞こえた覚えがあるのはのはエアコンの冷房の音、室外機の音、地上の車の音、環状線を走る車の音、部屋の中のPCのファンの音がメインでした。
でも、それらを日常の生活で意識することはありませんしそれで寝られなくなることもありませんでした。
それどころかそういう音がすることに意識を向けるとむしろ落ち着いてくるところすらあります。
ファンの音は一人で落ち着いていられるときの音、である気がします。
今も聞いています。
PCのファンの音と、室外機のファンの音。
エアコンはさっき切ったので室外機だけが若干しばらく回っています。
そういう音に落ち着きを感じる人にとっては、街中でも静かなのかなと感じています。
そういう人ならたぶんどこでも周りの音を気にせずに寝られるでしょう。
結局問題なのは
そう考えると結局この話で問題なのはそのどちらもうるさく感じてしまうような人本人なのかなと思います。田舎か都会かみたいな対立軸の話にしなければ。
たぶんもともとどこでも音が眠れない人と言うのが一定数いて、その人が都会がうるさくて眠れないという話をした時に「それだったら田舎がいいよ、静かだよ」というのでついていってみたら実際は変えるやら無視やらが鳴いていてうるさかったみたいな話なのかなと感じています。
それで田舎がいいよといった人も実際はいろいろ音が聞こえていて、それを無意識がシャットアウトしていた、みたいなそういう話じゃないのですかね。
よく眠れないのなら防音ヘッドフォンつけるとか、そういった対応をするのがよく眠れない人にとっては根本的な解決になるし、それができればどこでも寝やすくなると思うのでどこでも寝られる対策をするのがより満足できるのではないでしょうか。