同僚の方から以前SF本を何冊かいただいたうちに入っていました、「火星人ゴーホーム」という本を読んでいました。
この本は1955年に書かれたSFで、1976年に日本でも出版されたようです。
火星人が地球にやってくる話で、有名な「火星年代記」と似たようなテーマを扱っています。
あらすじ
火星人ゴーホームは「もし火星人が居たなら?中でもこの本はその火星人が地球までやって来たら」というお話です。
本文の中で火星人のイメージが語られる中で「火の玉」があるのが「火星年代記」オマージュなのだなと気付いて少しニヤリとできます。
この本での火星人の姿は緑色の小人です。
地球人より賢く、地球人を小ばかにしては混乱を起こします。
なので地球各地で何とか火星人を追い払おうとするのですが火星人は物理的に干渉することもできず、瞬間移動もされてしまうので何をやってもうまくいきません。
そんなドタバタを描いたお話になります。
オチからいうと、この火星人は主人公の想像の産物です。
主人公はSF小説を書く小説家なのですが、スランプに陥って小屋に閉じこもってネタをひねり出そうとして「もし火星人がやってきたら・・・」と考えました。
それが現実になってしまったのです。
最後には主人公がその時のことを思い出し、もしこの火星人が自分の想像から生まれたのなら火星人は存在しないと考えれば火星人を消すことができるのではと思いつき、成功します。
「火星人ゴーホーム」は唯我論の話
そうです、この話は唯我論のお話です。
唯我論はざっくり言うと実体として存在するのは自分自身しかおらず、その周りの世界はすべて自分の想像の産物である、という考えです。
哲学の一つの考え方なのですが、「自分だけが特別」みたいな考え方なので一般的にウケはよろしくありません。
本文中でも「愚にもつかぬ唯我論。誰もが青春期に一度はとらわれ、そして卒業する懐疑思想の一形態にすぎないのだ。」と語られています。
1955年このお話が書かれた当時もそのような受け取り方だったのですね。
しかし、この話の中ではそれが真実でした。
主人公は最初に「火星人がやってきたら・・・」と考えていた時に居た小屋まで戻り、「火星人なんていなかった」と思い込むことで火星人を消し去ることに成功します。
思い込みだけで自分の考えの中だけでなく周りの人からも認識されていた火星人を消し去ることができたのはこの話の世界自体が主人公の唯我論的な世界観でできていたから、なのでしょうね。
火星人を消す方法
さて、現実に立ち返ると、この話の主人公のように思い込みだけで物理的に存在する事象を消すのは困難に思われます。特に、唯我論を信じない限りはそうです。
でも、現実に存在するもので消し去りたいものは何も物理的な存在だけではありません。
観念の中に存在するもの、不安とか諸々の心象的なしんどいものがあります。
これらは物理的な実態が存在無いのに時々頭の中にやってきては頭をしんどくさせます。
自分は人より劣っているかも、それによって誰からも必要とされなくなるかも、そんなのは嫌だみたいなことをしょっちゅう考えてはしんどくなりがちです。
こう書いてみるとそんなに大したことでないように思います。別に実際そんなこともないし、物理的に何か変更不可能な問題があって動かせないものでもありません。
同じような状況で、別の日にはそこまでしんどくならなかった日もあります。
そして、そういうことを今は経験的に知っています。
ですが、思い悩んでいるときは本当にそれが実在する問題のように思えますし常に存在しているように感じます。
同じ状況で悩んだり悩まなかったりする、同じ状況で問題があるように感じたりないように感じたりする・・・こういったものは物理的な問題ではないように思います。
何か観念的な問題、思い込みとか世界に対する捉え方に関する問題に思います。
こういったものを観念的な問題と考えると、それは火星人のように思い込みで消せるのではないかという気がします。
観念自体が想像力から生まれた思い込みなので。
逆方向に思い込めば、その観念は消し去ることができます。
ことはそうシンプルではないのですが。
本文でも、シンプルに火星人を創造したときと反対に「火星人は存在しない」とそのまま考えたのではなく、少し遠回りな方法をとるのですがそのいきさつはぜひ本編を読んでみてください。(宣伝)
この本の中では唯我論が世界の真実で、物理的に存在した火星人も想像力で消し去ることができましたが、個々人の観念的な悩みくらいであれば同様に想像力で消し去ることができるのでは、というアイデアが得られた一冊でした。
唯我論的な思考を知っていれば、次に「火星人」がやってきたときももう少しうまく対処できるかもしれません。