日常

実家の庭の松を死に場所に決めたセミがいたらしい

10月も半分が過ぎて急に気温が下がってきました。

もう朝早くは冷え始めて、寒さで目が覚めたりすることもあります。

かといって布団をかぶると暑い、そんな中途半端な季節です。

さて、そんな季節の中、今日は実家で庭の木の剪定を少し手伝っていました。

いつも業者の方にお願いしてやってもらっているのですが、朝から来てもらって進めていると昼を回ることもあるそうです。

あまり時間を取ってもらうのもしんどいということで、手の届く範囲は自分たちでやろうということです。

とくにのえみは大学生のころ母方の実家の植花園で手伝いをしていて、松の剪定についてはいくらか心得があります。

なので手が届く範囲で庭の松の剪定をしていました。

松の葉が生えている根本の部分を見て、あまりに伸びている部分は芽の根本近くを切っていきます。

あまりに芽が伸びて、その部分の葉っぱだけが松の輪郭から突出していると見栄えが悪いのです。・・・たぶん。

なので松の輪郭から突出しないくらいまで松の葉の根本を切っていきます。

松の葉の向こうの景色がそれなりに見えるくらいがちょうどいいです。

松の葉の直線が放射状に延びて、けれどもその後ろの背景を隠さないくらいを目指していきます。それが綺麗、ということで。

なんか今動画を見たらその方法が正しくないような気がしてきました。

練習台はあるので今度勉強して練習しましょうね。

さて、その作業の中で枝を見てると、松の葉の中に一匹セミを見つけました。

当然ながら死んでいます。

夏が終わってセミが鳴かなくなってからもう1か月と半分は経っています。

つまりこのセミはここに止まったまま死んで、そのまま少なくとも1か月と半分は経過しています。

なんでここまでやってきたのか、そのまま他の場所に飛んでいこうとしなかったのか、この葉っぱから落ちることはなかったのか。

色々と疑問が浮かびます。

普段セミの死骸は床に落ちているのを見かけたり、あるいは夏の終わりに地面にひっくり返って足だけがわずかに動いているのを見かけたりはします。

命の終わり、夏の終わりの詫び寂びです。

それを夏の終わりの後ひと月半くらい経ってから見つけるとは・・・

なんだか恐れ多い気持ちになってきてしまいました。

このセミを堕として止まっていた部分の松を切る気にはなれなかったので、そのまま放置して帰ってきてしまいました。

たぶん、そのうち時間が経てば地面に落ちるなり何なりして、やがて風化していくでしょう。

そうやって忘れ去っていくのだろうなという気がします。

その一場面が実家の庭で起きているのかなと感じて、寂しさを感じる一日でした。