雑記

古いものを手放すこと、新しいものを手に入れること

ここ最近見ていたブログで、気になるものがありました。

https://rittsun.com/essay/opinion/katazuke-9/
りっつんさんという、結婚をしていたのですが30年以上も前に夫を亡くした方のブログです。

その方があるときに20年くらい昔に纏めた息子たちの思い出の品を家から発掘して、それを捨てたという話です。

のえみはその話を見て、自分のことではないのに自分が失うものについて少し考えてしまい、寂しくなりました。

古いものを手放すこと

のえみは今のところあまり物を手放したがらない性格です。

昔から使っていたものや学生の頃の教科書なんかはなんだか当時のことが思い出されて、捨てられないでいます。

そのため家の中の一角はそんなもので埋まっており、のえみが小さなころは広々とした遊び場だった場所が少し窮屈になったりもしています。

そういえば、動かなくなったPCもありましたね。

ディスクとビデオカードくらいでもサルベージして捨てればいいのですが、なんだかそんな気になれません。

こうして時々にでも思い出すようなチャンスを失ってしまうような気がして。

のえみはなんだか過去に生きているようです。

過去の思い出とか、昔やりたかったことに固執している気がします。

昔目指していたことを今も多少なりとも残していて、いつか時間ができたときにでも再び打ち込めれば、などと考えています。

そんな日はやってくるのですかね。

のえみのやっている仕事から考えるに、これから先さらに仕事に打ち込まないとついていけなくなってしまうという恐ればかりがあります。

もっと仕事のための学習を進めないと、もっと、もっと・・・そうしないとキャリアを失う気がしています。

そんな中で過去のことを時々振り返っては、置いてきた過去のために取り戻すための時間もないということが悲しくなることがあります。

それがここ最近の悩み、のえみはそんな過去と未来の狭間にいます。

特にのえみの最近の手放せないものとしては時間のことがあります。

時間が足りない。

平日の朝の時間も、土日の時間もです。

平日が忙しい、土日のうち1日は丸々休みたい。

でも資格の勉強も進めたい。

読んでいて途中だった本、定期的に出かけようと決めていた場所・・・

新しい習慣を取り入れようとすると、既存のやっていたことの時間は圧迫されます。

「これをやる時間をなくせば、新しいことができるのにな・・・」

と思うことも多々あります。

その時にこれまで習慣にしていたことをやめられるかというと難しいものがあります。

だって、習慣ですし。やり続けないと意味がない。

これまで続けてきたのに。そういう気がします。

新しいものを手に入れること

いっぽうでりっつんさんの場合はレゴを趣味としていて、当時でも1万ピースを超えるピースを持っていたそうです。

しかもまだ増える予定なのだとか。多い。

最後に書かれている“手放してこそ、次なるものが握れる”という一言が沁みます。

確かに新しいことを始めようとすると、古いものを手放す必要が出てくることがあります。

何を手放すか、を考えるとしんどいですが。

その前に何を手に入れたいか考えるべきである気もします。

人生であまり多くのものを手に入ると期待するのはよくないです。

精々、ということが多々あります。

二兎を追う者は一兎をも得ずとも言います。

考えてみればのえみの追いかけているものは多すぎているような気もします。

仕事のこともそうですが、趣味として持ちたいことが2-3個、個別にあります。

それらをやるためであれば失うものも増えてきます。

ちょっと増やしすぎたか?

そんな気がしてきています。

確かに何かを手に入れるには手放すものが出てきますが、手に入れようとするものが多すぎると全部を失っても足りないこともあります。

のえみはまだ人生の先が長いからと思っているのか何でも手に入れられると思っているだけなのかもしれません。

手持ちのものの取捨選択だけでなく、手に入れたいものの取捨選択もした方がいいのかもしれないと思ったりしました。