最近なタ書で買ってきたので「論語」を読み進めています。
個人的には30歳くらいになる前に歴史と哲学についてひととおり勉強しておきたいと考えているのですがまだほとんど手についていません←
というかどこから手を付けていきましょうね。
何を知って一通りというのか、そこを考えるところからになりそうです。
そんな中で読んでいる哲学書というか言行録として「論語」があります。
自分が読んでいるのは講談社の「論語」
自分が読んでいる「論語」は講談社、加地 伸行さんが訳した「論語」になります。
中身は原文と書き下し文、現代語訳、注からなります。
「論語とは」の解説書のようなものではなく、論語本文を網羅的に書かれたもののようです。
上のリンクでは2009年に出版された増補版となっていますが、自分が読んでいるのは2004年に初版が出て2007年に15刷です。
増補版で含まれているであろう情報は含まれていないのかーと思うとちょっと損した気分です。
まあしょうがないです。
個人的に刺さった言葉3選
あらかじめ知っていた論語の知識としては・・・
高校の漢文で習ったような内容、つまり中国の古文で孔子とその周りの人の言行録であること。
そのトピックとしては道徳観や規範に関するものであるので現代でもそれなりに評判がある、ということ。
そのなかで善いとされていることの中には親の言うことには必ず従うこと、みたいな現代的には否定されがちなものも含まれていること。
そんなものでした。
その中で抱いた印象としては・・・
1/3くらいの内容についてはそうだなぁ、と感じました。
メジャーなところはどこでも紹介されているのでスルーするとして、自分が読んで初めて知った内容で共感したものもいくつかあります。
例えば・・・
「過ちの始末を見れば、当然にその人間性が分かる」とか。
分かる。
やらかした時にどう対応するかというのにはその人本来のスペックが出ます。
通常時にやることは誰でも教科書的に訓練できるのですが、失敗した際の対応はその失敗に対する捉え方や周囲への反応とか、問題そのものに対する対処法とか様々な部分が浮き彫りになります。
備えていない部分への対処が本性ともいえますが、そういった部分は訓練できないようにも思えます。
そうすると自分はどれだけ訓練しても本性が最悪であればどこまでやってもあまり良くはなれないのかな・・・とか少し落ち込んだりしています。
「力不足のものは、途中でやめてしまう。今、お前は(はじめから力不足で私の考えを実行できないと)限定してしまっている」という言葉もありました。
やらないのかできないのか問題の話です。
できないというのは試みた結果失敗したことでもってわかるものです。
では、やる前にできないというのは、間違い・・・というよりは分からないといったところが正しいのではないかとか考えていました。
YESともNOとも結論が出ない部分については「分からない」という結論を出すことを恐れてはならない・・・というのはやけに現代的な考え的ですが、この文章から類推してそんなことを考えていました。
「老先生の教え。道理を用いて政治がなされているときは、正しい主張を、正しい実践を。もし道理を用いての政治がなされていないときは、正しい実践はするものの主張は抑えているのがいい。」
刺さりました。
やけに現実的で現代に通じる処世術です。
「親の言うことには従え」と似た否定的にとりやすい内容ではありますが、個人的には刺さりました。
自分が属している大小さまざまなコミュニティで、道理に沿っていることもあれば、道理に背いたものがまかり通っていることもあります。
周りの人々が道理に反したことを平気でしているときにどのようにするか。
結局自分がやること(実践)としては正しいことをする、でいいのですよね。
周りが間違ったことをしているからといって自分もそうしなければならないわけではありません。
それでよっぽど嫌われてムラハチされるわけでもなければ、道理を主張しない程度にとどめて自分は正しいことをする、というのでいいような気がしています。
無用なトラブルは避けて。けど自分は正しくあって。それでいいんじゃないですかね。
まだ100ページくらい残している
この本は時間を見つけてここ2週間くらい読んでいるのですが、本文が450ページまででその先は索引です。
今のところ350ページくらいまで読んでいます。
章立てとしては「憲問 第14」です。
全20章なのであと6章あります。
1/4強といったところですね。
全部読んでからなんやかんや書くべきなきもしますが今日ここに書くことがなかったので今書いています。
ブログって難しいですね。
人のためになる文章を書くというのが全然できません。
また最後まで読んだら他にも刺さる言葉が出てくるかもしれません。
最後まで読んでみましょう。