自分のPCのメモを雑多に突っ込んだディレクトリの中で頻繁に自分を刺してくる一言があります。
それは「自分の学習に責任を持つ」という一言です。
でも、その言葉がどこからやってきたのかが思い出せなくて引っ越したばかりの書籍の詰まった段ボールの中を引っ搔き回していました。
何の成果も得られなかったので腹いせにブログを書きます。
「自分の学習について責任を持つの話メモ.txt」全文
自分の学習について責任を持つ
どうすれば学習効率が上がるか考える。
どうやら自分は右脳、左脳でいうと左脳派らしい。
1から10まで順を追った学習があっている気がする。
全体を俯瞰するのは苦手だ。
コーディングが運転であったならテスターを衝突人形のように扱ってはならない。
だそうです。
更新日時は2021年2月6日、3年半ほど前です。
当時一体何を見てこんなメモを残したのか、でも残しておいた方がいいとその時は思ったみたいです。
自分はお仕事としてはITエンジニア屋さんをやっています。
このお仕事はそれなりに向上心だのなんだのといったものを求められる職種で、実際それがあればそれなりに待遇を上げていけるものでもあるのですが、そんな中での一トピックとして学習の問題もあります。
IT技術は日々変化、進歩しているためそれ等を学習していく必要があります。
停滞すれば自分が過去にどれだけ身を入れて学習したものでも技術として枯れてしまい、それで稼ぐのが難しくなっていきます。
そういう世界観です。
でも、何を学ぶといいか、いいというのは自分の待遇を上げていくことなのですがそれは自分で選択して、そこにどれだけ投資するか文字分で決める必要があります。
投資という観点で行くと、何にどれだけ投資するかを決める必要があります。
失敗したところでだれも責任を取ってはくれません、自分が苦しむだけです。
誰かが「これを学習すべき」と言ってそれに盲目的に従って失敗してもだれも責任を取ってくれません。そういう意味で「自分の学習について責任を持つ」というお話だった・・・気がします。
うろ覚えです。一次情報がちょっと手元にありません。
かくいう自分もそういう意識をもって学習を進めたり、そういう意識の持ち方について書かれた本、あるいはもっと全般的に「いいITエンジニアになるには」本を何冊か持っているので探してみたのですがそれらしい本が見つからなかったのです。
手元にある本と言えば・・・
情熱プログラマ
オーム社より、「情熱プログラマー」です。
情熱を持った幸福なプログラマーであるにはどのようにするべきか、ということが書かれています。
自分は内心そこまで情熱的になれないと感じるタチなのでタイトルを見るたびに落ち込みます。
そこまでなれないよって。
とはいえためになる話はあって。
この本の著者さんはジャズバンドでサックスも演奏される方で、その経験から「一番下手なプレイヤーでいろ」という言葉を書いています。
つまり、常に自分より上手な人がいるチームで仕事をすべきということです。
そうすることでそんな方々の影響を受けて自分もより良いエンジニアになれる、というお話です。
自分も仕事のチームに配属されるときは周りにどれくらい自分より上なエンジニアがいるかは気になり、そういうことが多いとラッキーだなと感じます。
なお、この本の左上が茶色く濡れているのは以前バッグにセブンイレブンの豚ラーメンと一緒に入れていた時に豚ラーメンのスープがこぼれたためです。
おかげで何ページか張り付いたページがあります。残念。
達人プログラマー
「いいITエンジニアになるには」本の代表格の一角です。
「何かいい本はないか」と言われたら答える本のうちの一冊になりますが、ごめんなさい、自分もそこまで印象深いトピックがありません。
かなり教科書的な内容が書かれていて、テストはちゃんとやろねだのDRY原則だのといったトピックが豊富です。
本当に、最初にこういった類の本を読むなら読んでおくべき本という気がします。
リファクタリングウェットウェア
思考法と学習法の本です。
オライリーから出ていますね。
これを買ったのは正直に言うと「ウェットウェア」という単語が格好いいと思ったからです。
何かのゲーム・・・そうだ、MissionForce: CyberStormです。
そういう名前のゲームがあって、そのなかで「ウェットウェア」という単語が出てきたのです。
SFでそのままのタイトルの書籍があったりするトピックで、いわゆる脳味噌のことです。
計算機械本体のような物理的なもののことを「ハードウェア」と呼び、そこにインストールして使う機能のことを「ソフトウェア」と呼ぶじゃないですか。
では計算を行ったり云々する機能を持つ脳味噌は、というと生物なので湿っているということで「ウェットウェア」ということです。
で、この本ではITエンジニアリングについて脳科学的な観点からよりよく学習したり思考したりする方法を論じています。
絵を反対にして模写してみると先入観がなくなるのでより実際に近い絵が描ける、みたいな話があって「へぇ」と思った記憶があります。
いずれにも書かれていませんでした
ということで発掘した3冊に目を通してみたのですがいずれにも自分の学習に責任を持つ話が入っていませんでした、残念。
本当に何の本に書かれていたのやら・・・
というか、これ系の本を自分は何冊持っているのでしょう。
そこまでいいITエンジニアになりたいのでしょうか。まあなりたいはなりたいですけども。
本当に?そういうにはできていないことも多すぎます。
そして何より、自分にはどこかそこまで思い切れない部分があることを知っています。
情熱プログラマーを見て落ち込むのはそういうことです。
そしてそれゆえにずっとITエンジニアとしてやっていくことに限界を感じていて、他の道を模索しています。
ブログを書いているのはその一部です。
何かが引っかかって、生きていきさえできればいいかとも考えています。
どうせそこまでお金がかかる生き方は望んでいないし、今もしていません。
すでに買い込んだ大量のゲームと、読んでない本、読む終えたら図書館で読んだりまた古本屋辺りで買い明後日も、一度読んだ本を読み返してもいいです。
これらのことをするのにそんなにお金もかかりません。
で、そうやって生きていればいずれ寿命が尽きます。
そのタイミングまで困窮せずに生きてさえいければいいと今のところは考えています。
極端すぎますし、そのうち考えが変わる可能性もあると思いますが答えに飛びつく気もありません。
人生の問いの一つとして持ち続ける気でいますが、今のところの答えはそれということです。
だいぶん話題がズレてきましたが、そんな意識の低いITエンジニアもこの世のどこかにいるということを感じていただければと思います。
こんな自分を許して。
ここ最近そんなことばかり考えています